パリのパサージュ

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パリの中心部にはいくつものパサージュがある。
パサージュ(passage)はフランス語で「通ること」や「小径」。
つまり、パサージュとは建物にはさまれた通りのことだ。その多くがガラス屋根で覆われている。

「抜け道」と意味づけられることもあり、パリにはそれがしっくりくるような。
パサージュが作られた当時のパリは現在のように道路の整備もそれほど行われていなかっただろうから、抜け道的な要素もふんだんに見られたのかもしれません。
このパサージュには、19世紀のパリの雰囲気がそのまま残っているといわれる。

日本で「アーケード」とか「アーケード街」と呼ばれる天井付きの商店街も、パサージュの仲間だ。↓

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パリにあるパサージュの有名どころはルーブル美術館の北にあるパサージュ・ヴィヴィエンヌ。
全長約42メートル。ガラス屋根や通路にちりばめられたモザイクの敷石が美しく、有名ブランド店やティーサロンなどが立ち並び、華やかなムードを醸している。
「花のパリ」を具現化したような優雅さだ。

一番上の写真はパサージュ・ヴィヴィエンヌの近くにある、どちらといえば庶民派のパサージュ。
ヴィヴィエンヌが重厚な絨毯に居座るペルシャ猫だとしたら、こっちは布団を干している横でノドを鳴らしながら日向ぼっこをする三毛猫のよう。
天井からおちてくる陽光が気持ち良く、通路の幅が狭いのが、人と商店の距離が近さを感じさせる。

このパサージュで、カワイイもの発見。洒落っ気があるペンダントトップがパリらしい!

 

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さて、パリにパサージュが出現したのは1786年のこと。
考案したのはオルレアン公(ルイ16世のいとこ)といわれている。
彼は経済的な問題からパレ・ロワイヤルの庭園を分譲して「ギャルリ・ド・ボワ」を開設し、そこに出店したお店から賃料をもらったそう。
それがパサージュのさきがけになったとか。

美しい景観をつくるための通路整備というわけではなく、意外にも不動産がはじまりだった。
そして、そのことが後世にはパリの人のみならず、世界の人を呼びこむ財産になるとは^^;

 

このオルレアン公のつくったパサージュに端を発し、パリでは1822年から1848年にかけてパサージュの建設ラッシュを迎えたという。
雨の日でも天候を気にせず、外を歩ける快適な場所。
たいていのことはここですませることができる。
こんな世にも素敵な通りをパリの人たちが放っておくはずがありません。

ってことは、人が集まる。パサージュに出店しているお店側も何かしらの方法でファンを増やしていったことでしょう。パサージュに軒を連ねるお店がいい意味で競い合い、「人が来る」通りにしていく。それが求心力になったのでは。

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また、お客さまの視覚にうったえるには、ウインドウディスプレイが大きな力を持つ。
お店は営業時間のみならず、閉店後も「見られている」ことを意識したはず。

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ひるがえって日本のアーケード街はどうなのだろうと考える。
日本各地には昔ながらのお店が閉鎖したままで、これがシャッター通り(商店街)と言われる。
シャッター通りが問題視されて数年以上たつけれど、かつての勢いを取り戻そうと、再生を試みるアーケード街や商店街もある。

なかには「広告」(ポスター)が呼び水となって、盛り上がった商店街も。
広告関係者ではなくても、大阪の新世界市場と文の里商店街、そして伊丹市の商店街の事例を知る人も多いでしょう。

商店街のお店の広告をポスターで表現し、「ちょっと、面白いから、あのポスター見に行こうか」ということになる。
広告に登場したお店の人はテンションが上がるし、制作したクリエイターのモチベーションもあがる。人が訪れることで経済効果も地域の活性化にもつながる。

商店街って、地域活性を仕掛けるには、もってこいの舞台なのかも。

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パリのパサージュについては「パリのパサージュ―過ぎ去った夢の痕跡 (コロナ・ブックス)」が詳しい。読むとパリに現存するパサージュをめぐりたくなるはず。

日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』のfacebookはこちらから。

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