雑踏の中にいきなり出現する巨大なサン・ドニ門

サンドニ門2_R

パリ10区にあるパリ最古の凱旋門、サン・ドニ門。

最寄りのメトロ駅はストラスブール・サン・ドニ(Strasbourg Saint-Denis)で、リシュリュ・ドルオ交差点から東に1633m、レビュビリック広場にいたる途中に建設されています。

このあたりはパリのノーブルで洗練されたセレブリティご御用達の通りの趣とは異なる、肩の力を抜けたカジュアルな雰囲気。つまり、地元感満点。パリのディスカウントストアTATIもなじんでいる。

 

日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』の表紙写真に映っているエトワールの凱旋門は遠くからその存在が認められ、門にたどりつくまでに時間がかかりますが、このサン・ドニ門は人とクルマがおりなす雑踏の中にいきなり怪物のようにあらわれ、その巨大さに目を奪われてしまう。

初めてこの門にいきなり遭遇すると「なんじゃ、これっ!」とおののき、まばたきさえも忘れてしまいそう。

 

実はパリにエトワールの凱旋門が建設されるまでは、このアーチが最も高かったのです。(高さ24m)

この門の建築家はブロンデルといい、初代建築アカデミー学長を務めた人物。
門のモデルになったのはローマにあるティトゥス凱旋門(Arch of Titus)だとか。
1672年にパリ市が時の国王、ルイ14世自ら軍を率いた「ライン川の戦闘」(オランダ戦争)における勝利を記念し、この凱旋門を建設したのです。

門の壁に描かれているのはライン川の戦闘にちなんで、ライン河の渡河とマーストリヒト攻略の情景。

このルイ14世は、狩猟の館としてルイ13世がつくったヴェルサイユ宮殿に、政府機能の移転を決定した人物。それは1668年のこと。

パリの都市改造を積極的に行った国王でもあり(とはいえ、19世紀のセーヌ県知事のオスマンが行ったパリの大改造にはいたらない)パリに王権を象徴するような建造物を配しました。

たとえば、自身の騎馬像を中央に据えたヴァンドーム広場。
かつては「ルイ大王広場」(Place Louis le Grand、なんと王権を誇示するネーミングなのでしょう(^o^)と呼ばれた、この広場はルイ・ヴィトンやシャネル、カルティエなど、世界を名だたる高級ブランドショップや宝飾店が立ち並ぶラ・ペ通りの起点になっています。

とくにヴァンドームは宝飾店の代名詞になっていて「グランサンク」(フランス高級宝飾店協会)とよばれる5社、メレリオ・ディ・メレー、ショーメ、モーブッサン、ブシュロン、ヴァン・クリーフ&アーペルも、ヴァンドーム広場に集結。

ヴァンドーム広場に贅を尽くしたモノが一堂にかいするのは、国王ゆかりの場所柄なのでしょうかね。

さて、サン・ドニ門界隈に話を戻しましょう。
サン・ドニの辺りは移民が多く、アラブやカリブ、インド、アジア、アフリカといった文化が混合する、エスニック感満点なエリア。

観光地というわけではないけれど、門の前にはグラン・ブールヴァールが走り、ここを西へまっすぐ行くとオペラ座、そしてマドレーヌ寺院へ。

そして東に行くとレピュブリック広場、映画『北ホテル』や『アメリ』、そしてフランス人ダンサー、ヤニス・マーシャルの動画にも登場するサンマルタン運河へ。

近くにあるサン・マルタン門もまた、勝利を記念して作られた門で、1674年の建造物(高さ17m)。

 

 

サンドニ門3_R

設計したのはピエール・ビュレ。
フランス国王軍がブザンソンを奪取し、ドイツ、オランダ、スペイン軍に勝利したことを記念して作られました。

サン・ドニ門と並び、ルイ14世の戦勝を記念して作られたこの門もまた、長い暦を経た、いにしえのフランスに思いを向けたくなる置き土産。

日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』のfacebookはこちらから。

LINEで送る