2020年9月26日(土)、NHK FMシアターで放送されたオーディオドラマ『歌え、この街の空に』(広島局制作)の“始まりの手”として企画、取材から番組の制作まで担当されたNHKディレクター、池田桃子さんに着想から取材、実際の制作現場などについて、お話をうかがいました。
―池田さんがオーディオドラマ『歌え、この街の空に』の制作を手がけることになったいきさつをおしえてください。
池田桃子(以下、池田)
2019年、NHKで『太陽の子』という特集ドラマのメイキング番組を作る機会がありました。その現場に来られていた外部の映画監督が広島や原爆についてリサーチをされていまして、その方から「戦後間もない広島の街で『のど自慢大会』があったらしい」というお話を聞きました。
戦中や原爆そのものトピックより、戦後に興味があったので中国新聞の過去の記事などを調べてみると、のど自慢大会を企画した水馬義輝さんの存在や彼が創業したみづま工房さんについて、そして実際に開催されたのど自慢大会のお話にたどり着きました。
まずは、のど自慢大会について着想を得たいと思い、みづま工房常務取締役の田中竜二さんにお話を聞きにうかがいました。
―『歌え、この街の空に』の主人公・水谷輝のモデルとなった水馬義輝についても取材を重ねられたと思います。彼は池田さんにはどんな人物に映りましたか?
池田
みづま工房の田中さんから見せて頂いた1枚の写真から「本当にのど自慢はあったんだ!」と確信を得て、水馬さんに繋がるたくさんの方々を紹介頂き、ご本人のキャラクターについてインタビューをしました。
面白いことに目がない、好きなことやこだわりを持っている、という人は案外たくさんいると思いますが、妄想や空想を実行に移すことができる人というのはとても少ないですよね。こだわりや夢を、周りを巻き込みながら形にできる希有な才能を持った方だと思いました。
取材を通じて、水馬さんがクラシックを聴かれていたというお話をはじめ、慰問団の方に演奏を頼んでのど自慢大会を開いたのでは?というエピソード、ラジオで「NHKのど自慢」を聴いていたという情報、戦地から広島に帰郷された頃には許嫁あるいは好きな人がいたらしい……など、いろんな噂話やエピソードからキャラクターのイメージを作っていきました。
また、自伝や周りの皆さんのお話から「自由でハイカラな人」というイメージを持ったので、戦時中は水馬さんにとって相当生きづらい世の中だったのではないかと想像しました。しかし常に未来志向で、苦難も飄々と乗り超えて行かれるような印象を持ちます。
エンタメ業界の先輩として、一度お会いしてみたかったです!
―戦後の広島でのど自慢大会が開催されたのは1945年、1946年という説があります。いずれにしても70年以上前のことですから、取材も大変だったのではと察します。オーディオドラマの制作にいたるまでのエピソードをお聞かせください。
池田
のど自慢大会については、これまで取材でお世話になった被爆者の方々や市内にいくつかある原爆養護老人ホームなどで聞き取り調査をしましたが、実際に参加した人や目撃した人を見つけることができませんでした。
そこで中国新聞の記者だった上村さんという方とともに広島の歌謡事情やエンタメ事情についてたくさん調べると、ちらほらと記述が……。しかし書いてある本や新聞によって内容もまちまちで、開催された正確な時期や内容を突き止めることができませんでした。
実ははじめはドキュメンタリーとして番組化することも考えておりましたが、なかなか事実を語れる人が少なく難しい。そこで、ドラマでいこうと腹をくくりました。
被爆者の方にもたくさんインタビューをしました。大好きな敵性音楽が禁止されている時代を経験した人のなかには、被爆して療養中、ラジオから流れるクラシック音楽を聴いて「生きてやる」と力が湧いたと語る人もいました。女学校に通っていた方には学校で歌っていた歌はどんな歌だったのかを教えて頂いたり。取材を通じて音楽や娯楽がいかに人の生きるエネルギーになっているかを知りました。
また、戦中、戦後に聴かれていた音楽の変遷(歌詞やメロディなど)や、のど自慢の歴史など、日本の歌謡史における歴史を学ぶ機会にもなりました。
―『歌え、この街の空に』にキャスティングされた俳優さんたちはそれぞれの役の心情を巧みに表現され、「声一つで伝える」という気迫を感じました。普段、テレビドラマに慣れている人には声だけで演じるオーディオドラマがとても新鮮に感じると思います。
池田
キャスティングですが、独特の存在感で連ドラや邦画にひっぱりだこの井之脇海さんに主人公・輝をお願いしました。優しすぎるキャラクターに聴こえないか心配でしたが、ご本人の繊細な演技でどんどん輝のイメージの明暗を表現してくださいました。
ヒロインの花村ナツを演じてくださったのは芋生悠さんです。実は私が最もキャスティングに成功したと思っているのがナツです。ナツは職業婦人なので、女性らしさよりも社会の中で生きる強さを持っています。その上で「弱さを見せる」「歌も歌う」という難しい役だったと思います。ラジオなのになぜか生々しい、心にぐっとくるお芝居をして頂いたと思っています。
傷痍軍人の君造を演じた宇梶剛士さんは、広島に特別な思いをお持ちの方です。原爆にまつわるトピックについてもとても詳しく、ご自身も脚本を書かれるのですが、いずれ広島の物語もやりたいとおっしゃるほどです。今回のお話も実話として知らなかったとおっしゃっていて「テレビドラマにしたらいい!」と言ってくださいました。
そのほか「劇団ハタチ族」という島根の市民劇団を主宰する西藤将人さん、宮崎で精力的に活動され、歌も歌える女優、かみもと千春さんなど、演技も声も素晴らしい方々を広島県外からキャスティングしました。今回はかなり出演者が多かったので、広島の役者さんにもたくさんご出演頂き、皆で合唱もしました。
―このドラマは音楽も楽しめますよね。とくにのど自慢大会のシーの迫力ある演奏が歌とともに伝わってきました。
池田
普段のFMシアターではあまりやらない、“生演奏”を今回は取り入れ、音楽の収録もしました。ハーモニカやバイオリン、戦後すぐの日本にはなかったドラムは収録時にボウルやバケツなど、音の鳴るものを集め、音階にこだわりました。
のど自慢大会シーンの演奏は広島在住のアーティストの皆さんが担当されました。実際に中国地方ののど自慢バンドで活躍されている方々です。音作りはとても大変でしたが、私自身、ドラムやギターをかじっている音楽好きということもあり、楽しかったですね。
―池田さんが『歌え、この街の空に』を通じて伝えたいことをおしえてください。
池田
このドラマでは音楽を絡めながら時代の変化、そして“戦後”という特別な時を歩き出した人々の強さや再生を、ほんの半歩でもいいから前をみて進んでいこうとする人々の姿を伝えられたらと思いました。
75年後から見た過去の出来事、ではなく、ドラマの舞台になった時代にいるかのような気持ちで聴けるドラマを作りたいと思っていました。
最近ではコロナや自然災害など、不幸にぶち当たったときに人はどんな反応をするのか、ネガティブなことが起こると、嘘みたいな前向きさを要求される世の中だなと感じます。
「みんなで乗り越えよう!」とか、そんなことばかり言われますが、渦中の人たちはそういう周りの圧力に疲れていると思います。
そんな世の中で、前向きに明るく生きる、ということは果たしてどういう意味か、私たちになにができるのか……。取材で戦後を生きた人たちの話を聞いていると、ほんの少し未来を信じながら、図々しく生きて、今の自分を受け入れていくということではないかと思うようになりました。
広島出身の脚本家・藤井香織さんとは一緒に取材にまわり、とにかく「ただのいい話」にしないことを意識して作りました。
出演者の皆さんの芝居はもちろん、プロの耳を持つ技術さんや音響効果さん、そして音楽を作ってくださった尾竹麻里さんをはじめとする広島のミュージシャンの方々のおかげで、耳をすませばいろんな音が聴こえてくる、感じようと思えばいろんな思いが感じられる作品ができたと思います。
●オーディオドラマ『歌え、この街の空に』は聴き逃しサービスで聴けます。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/
※2020年10月3日(土)22時50分配信終了
ぜひ、お聴き逃しなく!
『日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』のfacebookはこちらから。
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