カープ、悲願の優勝へ。そして思う、私のアイデンティティとは…

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マジック4(9月5日現在)。
25年ぶりの悲願の優勝まで、あと少しのところまでやってきた、我らがカープ。

一言で25年と言うが、それは本当に長い道のりだ。大学生だった私は、当然のごとく、すっかりおばちゃんとなった。(笑)
カープの選手だって同じで、前回の優勝を知る選手はみんな引退してしまった。あの頃若手だった、前田智徳、野村謙二郎、緒方選手は監督や解説者として、次のステップへと進んでいる。

球場も広島市民球場から、現在のマツダスタジアムへと移転。
そして、「カープ女子」なる流行語ができるほど、ファン層にも変化が現れた。言っちゃ悪いが、25年前は、見に行きたい時はいつだってチケットが買えた。当日購入なんて当たり前。

それが今はどうだろう。
関東に住んでいる私が、子どもの春休みや夏休みに応援に行きたいと思えば、発売早々に購入しないと売り切れてしまう。
いつ広島に帰るかは、カープのチケットが取れた日を中心に考えているほどだ。広島だけじゃない、東京ドームだって、神宮だって、横浜スタジアムだって、球場を赤く染めてしまうほど、関東にも、いや全国にカープファンは増加中だ。

そこでふと考えてみた。みんなはどんなきっかけで、カープファンになったのだろうと。

私はというと、父がカープの大ファンで、幼少の頃のテレビはいつだってカープ中継だったから。広島生まれ、広島育ちの私にとって、ファンになることは当たり前のことで、何の疑いも持たない当然のことであった。

そんな私はこの夏、父と史上最大の大喧嘩をした。それは、父がふと漏らした「お前も関東の人になるんじゃのう」という一言だ。
この言葉に私は大激怒。思わず「私は広島人なんじゃ!!」と大声を張り上げた。いきなりの大激怒に父も大激怒…と、まあ、それはそれはひどい修羅場でした。

この夏、私と最大の修羅場を演じた大のカープファンの父
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先に関東の方々に謝っておきます。ごめんなさい。関東が嫌いなワケではないんです。
でも、長年広島で育ち、強い時も弱い時も何十年もカープを応援してきた私は、関東の人ではなく、関東に住んでいる広島人だと言いたい。

カープは、広島は、私のアイデンティティそのものと言っても過言ではない。

だからこそ思う、25年は長かった。でも、最高の瞬間はすぐそこまで来ている。広島にいなくても、カープを思い、広島を思い、歓喜の旨酒を大勢の人と酌み交わしたいと。

お茶目な息子は、カープTシャツとカープ帽子で登校するほど、カープファン!
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齋藤ふきえ(文・写真)
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