水馬義輝と東工大自動車部スクーター隊

SANYO DIGITAL CAMERA

1957年9月、オランダで撮影されたこの写真。
着物姿の男性は『日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』の著者、水馬義輝。
そして道路を走っているのは、桶谷繁雄教授率いる東京工業大学自動車部の精鋭メンバー(7人で結成)によるラビットスクーター隊。

水馬義輝は、この日のことをこう記しています。

アウトバーンを一気に通って、途中長い橋で休んでいたら、桶谷氏のスクーター隊と逢う。デン・ハーグに到着して、すぐ宿へ。夜はポークカツとポテト、野菜サラダ。
ビールを飲んで、街をブラつく。

日記『ヨーロッパ浮わ気ドライブ』の制作をスタートさせ、この写真が撮影されたのがどこなのか、どうして水馬義輝が和服を着ているのか疑問でした。
もちろんこのスクーターに乗った人たちのことも、東工大自動車部のことも知らずにいました。

制作がはじまり、国会図書館で『欧州スクーター旅行』(桶谷繁雄著、国会図書館のデジタル蔵書で読めます)という本を読むことになるのですが、
この本が例の着物姿の写真をひもとくきっかけになったのです。

日記『ヨーロッパ浮わ気ドライブ』には「桶谷教授」という名前がしばしば登場します。
日記の制作がはじまり、桶谷教授のことは、本書にコラムをお寄せくださった、昭和30年代をパリで過ごされた声楽家の芹沢文子先生からお話を聞くことになります。
故・桶谷繁雄さんは芹沢文子先生のお父様である作家の芹沢光治良先生とも親交があり、小説も書かれ、パリ通として有名な方だったと。

『欧州スクーター旅行』から桶谷教授の文を引用してみましょう。
(P102、ハーグで会いましょう より)

オランダに入って間もなく雨は止んだ。
ブレダを越えてしばらく行くと、すばらしく長い橋がある。
ライン河の河口なのである。
それを渡ったところに、ドイツ群の作った大きなトーチカがあるが、
それを見た私はギョッとした。
日本の着物を着た男がその上でパチパチ写真を撮っているのである。
よく見ると、パリ滞在中に知り合いになった広島在住の建築家(注 実際は広告マン)Aさんである。
ルノー4CVをパリで買って、私と前後してパリを出発したのであるが、
こんな所で出会おうとは思わなかった。

(中略)

ハーグで会いましょうといってロッテルダムへ向かった。
天気は段々とよくなる。
自動車道路はじつにりっぱである。

引用終わり。

浴衣姿のAさんこそ、水馬義輝。
この本を読んだおかげで、この写真の撮影場所がオランダであることがわかったのです。

しかし、なぜ着物を?
きっと、同じ日本からやってきた者として、エールを送りたかったのでは?と想像します。

マラソンの沿道に立ち、選手を応援する心境というのかな。
異国をスクーターで走る日本人の彼らを喜ばせたい。
その気持ちを最大限にアピールするなら、日本ならではの着物(浴衣)で、と。

この写真だけでなく、水馬義輝はこのヨーロッパドライブ旅行で訪れた各国で着物や社名入りの半被を着ています。
自身も生前言っていましたが「広告屋が体に沁みついている」表れでしょう。

1957年は現在とは違ってめったに外国へ行けない時代。
日本を、広島を、そして自分の会社の看板を背負ってヨーロッパの地を踏むぞという意気込みで、日本を象徴する着物や半被をスーツケースにしのばせたように思います。

オランダ走行中、水馬義輝の着物姿に驚いただろう、スクーター旅行を企画された東工大自動車部顧問の桶谷教授、そしてヨーロッパをスクーターで走った7人の部員の皆さん(本によると昭和8年~11年生まれの方たち)。
スクーターの1日の走行距離は250km前後、それは時速にして平均30km前後(食事など、諸々の用事を含めて)、1日約8時間をめどに走っていらっしゃいます。(前もって走行時間や距離を計算されている点がすばらしい!)

上の写真ですが、走行中のラビットスクーター3台に自動車部の学生さん。
スクーターの後ろに見える車はルノーで、そこに桶谷教授と他の部員が乗車されていたのでしょう。

桶谷教授著作の『欧州スクーター旅行』を読んでいると、旅行費のご苦労はじめ、船でヨーロッパに渡り、パリでスクーターを組み立てたりと、海外自由化前の旅の様子がよくわかります。
当時の道路や車事情なども丁寧に記され、資料性が高いです。
この本もまた、手軽に海外へ行ける時代には経験できないだろう、冒険譚。

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