映画『ミッドナイト・イン・パリ』

先日、ル・ドームの記事を書いたときにふれたウディ・アレン監督の映画『ミッドナイト・イン・パリ』。
主人公は恋人家族とパリで休暇を過ごしていたアメリカ人の脚本家。彼はある雨の夜の12時にプジョーのクラシックカーに乗った夫婦と出会ったことから、1920年代にタイムスリップします。

エコール・ド・パリ、実存主義。1920年代のパリを舞台に花開いた文化・芸術は今の時代も輝きを放ち、この頃に生まれた作家や作品を愛している人も多いはず。
映画の中では、ピカソ、ガートルード・スタイン、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ダリ、コクトーなどが登場。
今もなお、人々にインスピレーションを与え続けるスターな存在の方たちですが、彼らにも憧れの時代があったことでしょう。

映画の中に登場するピカソの愛人であるアドリアナにとって、その憧れの時代とは1890年代。
ロートレックやゴーギャン、ドガなどが活躍していた世紀末の頃です。
ミュシャが描いたフランス人女優サラ・ベルナールが象徴する、アール・ヌーヴォーの作品が生まれたベル・エポックといわれる時代。

さらには、このベル・エポックのムーヴメントを作ったロートレックやゴーギャンたちにも憧れの時代があり、それはルネサンス期だった……。
と、ミッドナイト・イン・パリでは描かれています。

先人の創作を手本に、自分の技術を磨き、誰に何と言われようと自分の感性とアイデアを信じ、ものを作っていく。
どの時代もこの姿勢は変わらず、時代の空気だけが刷新されていくのだろうなと、映画を見た後に思いました。

印象深かったのが、1920年代の多くの文化人、芸術家たちがよくまあ、喋ること!
彼らが出入りしていたサロンは交流の場として機能していましたが、人間が顔を合わせ、会話することから生まれるエッセンス(人間の本質的な部分や基底に影響を与える)を醸成したのかも。

映画では、1890年代の芸術家たちが憧れた時代とされていたルネサンス期。
当時のものづくりの工房では、1つの作品を作るため、親方と弟子たちが日々、顔を合わせて仕事をしていました。
仕事場では当然、いろんな会話が飛び交っていたはずです。
技術的なことをはじめ、恋愛、人間関係、お金、健康……。
「うちのカーチャンがさぁ」などと、傍から見ればなんてこたーない話もしていたでしょう。が、自分の口を開く、相手の口を開かせるという行為は、一緒に働く人のことを理解する一歩になったはずです。

どんな考えをもつ人なのか。
どんなことが好きな人なのか。
どんなことが得意な人なのか。

人間が生活を営んでいくうえで出くわす、さまざまな出来事やハプニング。
肩を並べる隣人とそのことについて喋り、話をしていくうちに互いにわかり合っていくことが、ものづくりをする工房の精神的な屋台骨になったのだと思います。

そのようなことを想起したミッドナイト・イン・パリ。

さて、 未来の人にとって、ウディ・アレンは間違いなく「憧れの人」となることでしょう。「憧れの時代」になるかどうかは未来の人たちの感性に委ねます。
いつの日か、ウディ・アレンの生きた時代(まさに今!)にタイムスリップし、憧れのウディ・アレンに会いに来る主人公が登場する作品が誕生するかな。そうなることを楽しみにしています。

フランスつながりで、映画をもう1点紹介。
イヴ・サン=ローランと彼のクリエーション、公私ともに支えたパートナー、ピエール・ベルジェ氏との歩みを描いたドキュメンタリー映画『イヴ・サン=ローラン』。

彼の美術収集家としての側面や彼の創作を知る上でも参考になったほか、1960年代のアンディ・ウォーホールやミック・ジャガーとの交流も興味深かったです。オープニングのタイトルバックからしてアートを感じさせる作品。

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