この写真はアジア某国の首都にある凱旋門の前で撮影したもの。
どこの国かは後述するとして、なんとなくパリの凱旋門に似てませんか。
『日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』の表紙に用いた写真はパリのシャルル・ド・ゴール広場に建つエトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)を背景にしたシトロエンと著者、水馬義輝。
時の皇帝、ナポレオンの命令によりこの凱旋門の建設が始まったのは1806年。そして30年を経て1836年に完成。
エトワールと名付けられたのは、この凱旋門を中心に12本の通りが放射状に延びていて、その形が星(étoile)が輝いているように見えるからだとか。なんと、素敵なネーミングなのでしょう。
さて、話を戻して、前出のアジアの凱旋門ですが、ここはラオスの首都ビエンチャン。
エトワールの凱旋門をモデルにして1960年代に建造されたもので、ビエンチャンではハズせない観光スポット。
この門に上ると、首都でありながら高層ビルが林立することのない、のんびりゆったり~としたビエンチャンの街を見渡すことができます。たとえると、ひと昔前の日本の県庁所在地といった風情。
なぜに、ラオスに凱旋門?と思われるでしょう。
昔、この国はフランスに統治され、フランス領インドシナ連邦を構成する1国だったからです。
(ちなみににこのインドシナ連邦の総督府がおかれたのはベトナムの首都ハノイ)
植民地となったことから、保護国フランスの文化が否応なく踏襲され、建築や料理などにおいてもフランス色が今もなお色濃いラオス。
「勝利の門」という意味のパトゥーサイを建造する話が持ち上がった時、エトワールの凱旋門を模して造ることになったのは自然のなりゆきでしょう。
またこの街で食すフランス料理も、かなりレベル高っ!であることも特筆もの。
料理もさることながら、コーヒー、バゲットやクロワッサンなどもかなり美味。こういうものはツーリストご用達か?と思いきや、ランチタイムで入ったフレンチレストランでは、現地の会社員と思われるラオス人たちでいっぱいでした。
さて、パトゥーサイの内部に近づいてみましょう。
バイクぎっしり! 観光名所を背景に記念写真を撮影するカメラマンやおみやげ屋さんの愛車でしょーかね。
そして天井画。こういうところには、たいてい宗教色の強い絵柄が描かれているものです。ここにはヨーロッパの巻き毛クルクルの天使ではなく、アジアの天使の皆さんが。
外観はフランスを模して。けれど、内側はアジア色が濃厚な凱旋門。
自国の文化にフランスのエッセンスが混在することを余儀なくされたラオスならではの東と西が融合した美点をそなえる建造物は、ある時代を具象化した置き土産であり、観光遺産になるはず。