発行人とマリリン・モンローの写真が元旦の中国新聞に

2018年1月1日の中国新聞に、日記『ヨーロッパ浮わ気ドライブ: 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』の発行人である橘愛子(水馬愛子)が取材を受けた記事と幼い頃、マリリン・モンローに花束を贈呈した時の写真が掲載されました。

広島東洋カープの人気が高まるにつれ、最近は球団創設に関わった人々にスポットがあてられ、橘愛子の祖父で、カープの社長を務めた伊藤信之氏についての問い合わせが相次いでいるそうです。

愛子さん記事2018年1月1日中国新聞掲載_R

中国新聞2018年1月1日付朝刊

当時のことを橘愛子に尋ねてみました。

「当時5歳だった私は時々、広島を訪れる方々への花束贈呈を頼まれたようです。ドン・コサック合唱団(1921年にセルゲイ・シャーロフによって結成)には妹と一緒に花束を贈呈するため、広島市公会堂の舞台に上がった覚えがあります。しかし残念ながら、モンローとディマジオ夫妻のことは記憶にありません。ただこれらの写真は昔から我が家のアルバムにあり、見るたびに県営球場でモンローを見ている人々の表情が面白いなと思っていました」とのこと。

さて、広島東洋カープについて長年、取材を重ね、執筆なさっているライターの西本恵(にしもとめぐむ)さんは、ディマジオとモンロー夫妻の来広時を知る球団関係者に取材されています。

西本さんの著書『広島カープ昔話裏話ーじゃけえカープが好きなんよー』(トーク出版)からマリリン・モンローが広島総合球場に現れた時の様子を引用させていただきます。

(前略)モンローは、指導にあたる夫・ディマジオの姿をバックネット裏から眺めようと、放送用の長テーブルの席にスッと座った。その放送用の席には、カープ球団職員の渡部英之が座っていた。普段の試合の日には、もぎりからはじまり試合中は場内放送を担当する。この日はモンローがやって来るという噂があり、練習とはいえ約3000人のファンが詰めかけていたため、場内放送を行っていた。(中略)
しばらくしてモンローは席を立ったが、数分間、隣の席で同じ空気を吸った渡部は、言葉にできない感動に浸っていた。この後、一軍対二軍の試合では、渡部のアナウンスの声が、いつになくツヤやハリが出て調子が良かった。
モンローは、入ってきた時のように、レフト側の入口から出ていった。帰りのタクシーに乗り込もうとした瞬間、これまでこらえていたファンが押し寄せ、黒山の人だかりに押し潰されそうになった。(後略)

『広島カープ昔話裏話ーじゃけえカープが好きなんよー』
昭和29年 絶世の美女マリリン・モンロー、広島球場に現わる。
「スロー」、「スロー」、「ブーン」のアメリカ流指導に耳を傾ける。より

『広島カープ昔話裏話』にはディマジオとモンロー夫妻が来広時のエピソードをはじめ、昔の球団や選手の様子などが収録された読み応えのある一冊。カープの存在なくしては語れない広島の歴史を知る上でも、資料性の高い作品です。

なるほど。モンローの人気ぶりがよくわかるエピソードですね。
ちなみにマリリン・モンローが着用しているチェックのワンピースはモンローがショーガールを演じた映画『紳士は金髪がお好き』(原題 Gentlemen Prefer Blondes,1953年)の衣装でもあります。

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